『霊感商法』について考える

世界平和統一家庭連合 田中富弘会長の会見【抜粋】

さらに、一部メディアでは30年以上前にレッテルを張った「霊感商法」なるものが、今も変わらず行われていると発信し続けています。しかしながら、いわゆる「霊感商法」なるものを、過去においても、現在も当法人が行ったことはありませんし、信徒らに対しては、特に2009年以降、当法人は、社会的、,法的に問題と指摘される行為をしないよう、コンプライアンスの徹底に努めております。

そもそも,既に報じられていますように、安倍政権時代の2018年に、消費者契約法の改正で霊感商法の言葉も盛り込まれ、霊感商法と認定されたものはいつでも取り消すことができるようになっています。しかしながら、上記コンプライアンスの徹底により「霊感商法」と称される類のものは当法人の信徒において行われていませんし、被害報告もありません。

2014年以降、当法人は消費者センターから、当法人に関する何らかの相談があった場合には連絡をもらうようにしていましたが、記録にあるこの年以降においては消費者センターから相談を受けたとの連絡は一件もありません。

◉外国特派員協会での記者会見 会見文(日英対訳)|世界平和統一家庭連合(公式サイト)より

https://ffwpu.jp/news/3902.html

ここで注目したいのが、

「霊感商法」なるもの

「霊感商法」と称される類のもの

という表現だ。

 

私の受け止め方としては、争点は、「やった」「やってない」ではないのだと思う。

 

旧統一教会(世界基督教統一神霊協会)時代から、宗教法人として組織を挙げ、全員参加型でやっていた「全ての家庭連合信徒の参加が推奨されるもの」を振り返ってみると、下に記す通りだ。

 

但し、共産主義国の解放と冷戦終結を中心的なテーマとし、「献身者」として信徒同士で共同生活(ホーム生活)をしていた時代から、故郷の福地化を中心的なテーマとし、「祝福中心家庭・氏族メシヤ」として家庭生活を送りながら地域社会貢献活動や氏族メシヤ活動をする時代へと変化した、摂理の進展に伴い、また、各家庭毎の事情等の違いにより、多少、重きの置き方に違いがあるが。

 

◉全ての家庭連合信徒の参加が推奨されるもの

・毎日の早朝礼拝と夜の祈祷会、訓読会。

・日曜日毎の敬礼式と聖日礼拝

・名節毎の敬礼式と記念礼拝

・教会学校

・中和新聞やファミリー等の機関紙・誌の購読

・10分の1条献金・名節献金・感謝献金・摂理献金

・千葉修練所等、国内での21日修練会等への参加 ※実践を除く

・HJ天宙天寶修錬苑(いわゆる清平)での修練会への参加

・地域社会貢献活動

・祝福合同結婚式

・氏族メシヤ活動(=伝道という意味もあるが、本質は深遠だ。)

 

ダミー団体やフロント組織等としてマスコミが報道している家庭連合との関連団体や法人には、信徒や一般の方々が籍を置き、それぞれの目的に応じて活動をしている。世界平和への貢献活動もあれば、地域社会貢献活動もあり、また、営業活動もあるし、実に様々だ。

 

旧統一教会(家庭連合)との関連団体や法人等を一緒くたにして、これらは全て旧統一教会だと言われるが、もし、言うならば、全て「天の父母様聖会」だと言ってもらいたい。

「天の父母様聖会」が成そうとしているゴールは、有史以来人類が希求し続けてきた夢であり理想であり、そもそも、とても旧統一教会(家庭連合)の次元で成し遂げられるものではない。

 

信徒の皆さんは、都合や事情に応じて上記「全ての家庭連合信徒の参加が推奨されるもの」の内、適宜やれることをやっておられることと推察するが、「天の父母様聖会」傘下にある数多の組織の内、そこに籍を置く者以外の信徒も、関心や必要性、時には持てる能力等により、「会員」や「顧客」等として関わりを持つことはある。

 

それらは全て自由意志に委ねられ、自己責任のもと、自己判断で行なわれる。もちろん、どこでもよくある「付き合い」や「義理立て」はあるが、それまでなんだかんだと野暮なことは言うまい。

 

マスコミ等を通じて、自由意志が尊重されるだなんてとんでない、それは嘘っぱちで強制だった様に伝えられる向きもあるが、嫌なものは嫌、駄目なものは駄目と、現場レベルではあるが責任者と差しで喧嘩してでも是々非々で歩んできた者にとって、マスコミの報道は実に納得できない、まさに「いいがかり」以外の何ものでもない。

 

それでも、「私は◯◯を強制された・・・」と言われる方もいらっしゃることと思う。掘り下げたいところだが、今回のテーマとはズレてしまい、話を戻したいので、一言だけ。

 

神様と人類始祖(アダム・エバ)との間に入り、その役目を果たすべきだった「天使長」の失敗を蕩減すべく、人と人との間に入り、意思疎通が円滑に行なわれるようにサポートしたり、時には執り成したり等、言わば、「善なる天使長」の役割を為す人材の必要性を強く感じている。

昨今、「◯◯ハラ」という言葉が流行っているが、人と人とが相対で向き合ったり接したりすることは、簡単な様で実は難しい。そこに、必ずと言って良いほど、様々な問題が起きるのだ。

 

話を戻そう。「霊感商法」はもちろんのこと、「霊感商法」なるものも、「霊感商法」と称される類のものも、旧統一教会も現家庭連合も、行なったことは無いと、なぜ言えるのか、である。

複数の元信徒がマスコミに登場して証言をしている「霊感商法」問題。

元信徒が証言しているのだから事実に違いない。

そう思うのは当然だ。

ひょっとしたら、現役の信徒でさえも同じ様に証言するかもしれない。

 

「旧統一教会が霊感商法をやった。」と誤解してしまう、その一番の理由は、信徒が行なっている(或いは、多かれ少なかれ関与している)ものは、全て旧統一教会(家庭連合)がやっていると思っている、或いは思いたいことが挙げられる。

 

「思っている」というのは違いがわからないことから来る。

天宙復帰だとか、再臨のメシヤだとか、大きなことに意識を向けることにより、小さなことには意識が向かなくなり、(言葉は悪いかもしれないが、)小さな違いはどうでも良くなるのだ。そのため、勝手な思い込みが生じ、「思っている」こととなる。ひょっとしたら、「法人」や「個人商店」や「任意団体」等の違いなど、全く意に介さないかもしれない。

 

「思いたい」というのは、神様の版図が広がることを喜びとしていることから、少しでも関わりがあるならば、それを過大評価、拡大解釈したくなる傾向を持つ信徒が多いことと推察する。それで、つい、「思いたい」のだろう。

 

いずれにしても、全く悪意はないのだ。

「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない」(新約聖書 マタイ伝18章3節)とあり、礼拝での説教を通じて語られることもあり、それで良しとすることから、子供のように自由に解釈し、疑念を感じるどころか、深堀りしないのだ。

 

二番目の理由は、霊感や霊界そのものへの理解不足だ。

これを明確にする必要があると思っている。

これは実に重要な点で、統一原理や文先生のみ言を頭で理解できたとしても、霊的感性でもって悟りを得たり実感することが無ければ、心から納得することは出来ないからだ。

 

これは実に深遠なので、今日のところはここで終わりにし、続きは後日とする。