神様を知ること

神様を“正しく”知ることが、幸福になることの大事なポイント。ところが、神様を"誤って”知ることは、不幸への指定席券となってしまう。ここが難しい。"誤った”神様を"正しい”神様と信じ込み、その神観に基づいた世界観に突き進むと飛んでもないことになりかねない。

 

では、どうしたら神様を“正しく”知ることができるのだろうか???

それを確かめようにも、そもそもそれを測る物差しが何がしかの価値観にならざるを得ないので、話はややこしい。

 

そこで、本気で神様を“正しく”知ろうとしたならば、知的、情的、霊的と、あらゆる側面からのアプローチが必要となる。PDCAサイクルの如く、仮説を立て、実体験を通して検証し、見直して・・・。を繰り返す。ところが、神観によっては、「それは神を冒涜する人間の行為・・・」と言われてしまう。

 

忠犬ハチ公の物語が人々の胸を打つのは、何と言っても、そこに人間と愛犬との心の通い合いを見出すからだろう。人間と人間とはなおさらで、心が通わず意思疎通もままならないときは、この上なく苦痛を感じるものだ。それなのに、神様と人間とにおいて、意思疎通も出来ず、心が通い合わないことが当たり前と思うことの方がおかしくはないだろうか???

 

『(創造主である)神様と人間との関係は親子である。』

ここから、全てを解き明かした内容が、統一原理である。

親と子ならば、何らかの理由によって絶縁関係にあったとしても、いつか必ず、関係を回復して、本来の親子関係に戻れるはずだ。

統一原理によれば、神様は、歴史をかけて、それを成そうと手を尽くして来られた。後は、人間次第なのだ。

コメント: 0