ここに3つの本があります。
1)自然に成長する教会
2)セル教会の本質と実際
3)スモールグループから始めよう!
「自然に」とは、「人間的な努力の成果として」というのではなく、「神様が役事して」という意味です。
もちろん、人間的な努力は必要です。
しかし、どう努力すれば「教会が成長する」のか、ではなく、どう努力すれば「神様が役事される」のか。という考え方です。
神は人間の努力如何に左右されるものではない、というキリスト教的考えからは異論があろうかと思います。
実際、聖書には、次の様な聖句を見つけることが出来ます。
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。<マタイ18:20>
神様のもとに、2~3人の信徒が集まれば、そこには神様が共におられるのです。
それだけで、神様の役事が起こりそうなものですが、実際はそうではありません。
信仰が足りないのでしょうか?
ここでは、信仰が足りないのではなく、別の何かが足りないのだと考えます。
本の内容は置いておき、まず、考え方を整理します。
その考え方というのは、「人間の責任分担」という観点であり、また、神とサタンの条件の奪い合いという観点、即ち、「実体基台」であり、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」の観点です。
しかし、原理講論に記される「人間の責任分担」においても「堕落性を脱ぐための蕩減条件」においても、それらは抽象的な表現なため、具体的に何をどうすれば良いかわかりません。
文鮮明師は、ホームチャーチや氏族メシヤを通じて、信徒にそれをさせようとされたのだと思われますが、それは成就されないまま延長に延長を繰り返しています。
延長を繰り返してしまう、その根本的な原因の一つは、何をどうすることで氏族メシヤを通じた「人間の責任分担」を果たせるのか、或いは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることが出来るのかが、わからないからなのではないでしょうか。
そこに、回答を、もしくはヒントを与えてくれるのが、ここに紹介するこれらの本だと思います。
関心のある方は、一読をおススメします。
具体的で、目からウロコ状態であるに違いありません。
そして、これらを熟読し熱心に実践するならば、ホームチャーチこそが、或いはみ言訓読家庭教会こそが、メシヤを迎える為の基台を立てる最前線であり、地上天国の礎であることを確信することでしょう。
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