節目の3月 -続き-

3月にまつわるお話の続きです。

 

真の御父母様から発せられた『還故郷』の大号令を受け、故郷に還ったのが1993年3月のことでした。まだ家庭を出発していませんでしたので、単身での里帰りとなりました。


還故郷の大号令の直後、真っ先に責任者(某会社の社長)に申し出をしたのですが、責任者は、『将来、錦を飾ればいいのだから・・・』といった摂理的観点からではないお話を繰り返されたため、『氏族メシヤ』に関するみ言の本を繰り返し繰り返し読んで研究し、知識を整理しながら、決意と覚悟を固めました。

 

その後、何度も何度も執念深くお願いしたところ、責任分担(現場責任者)の後任が見つかれば・・・、とのお話をいただくことが出来ました。その後、時を待ち、ようやく還故郷することが出来ました。

 

故郷に還る旨を実家の両親に告げると、父はあまりにも喜んだために、段差を踏み外して足に怪我をしてまった、ということもありました。

 

伝説の二人三脚@家庭修 1994年2月
伝説の二人三脚@家庭修 1994年2月

そして、それから1年後の1994年3月。家庭修参加(写真)、相対者の入籍を済ませた後、三日儀式を行ないました。

 

場所は伊豆半島の南端近くにある貸し別荘『風夢』。海岸に行ったりシャボテン公園に行ったりカラオケに行ったりの、昭和の新婚旅行の様な感じでしたが、大変良い思い出も出来て、充実した良い出発が出来ました。

 

そう言えば、この時は、前年が冷害でお米が取れず、お店にタイ米が並んでいました。貸し別荘では自炊なので、車で向かう途中のお店でタイ米を買い炊いて食べましたね。

 

カーナビも無い時代、ロードマップを片手に、助手席でしっかり眠りこけている相対者を横目で見ながらの珍道中でしたが、全てはここから出発したかと思うと、感慨深いです。

 

さて、還故郷してから20年経ち、いよいよ21年目がスタートしたのが今年2013年3月というわけです。還故郷した日は3月20日でしたので、3月18日までの特別精誠21日路程を経て、個人路程における大きな大きな節目である還故郷21年目がいよいよスタートします。


み旨の道を歩み始めたとき、還故郷したとき、そして家庭を出発したときの初心を忘れず、更に、基元節をお迎えしての自覚を新たにして、この1年間を大事に歩んでいきたいと思っています。

 

つづく かも?

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