主と共に生く

基元節:天一国元年天暦1月13日(2013年2月22日)をお迎えするにあたり、貴い聖酒をいただき、いよいよ基元節には祝福を賜り、新しい出発をさせていただきました。

 

当然ながら食口といえども人間なので、基元節に対する受け止め方については千差万別であろうことは想像がつきます。限りなく肯定的で歓喜に包まれてお迎えした食口もいれば、胡散臭く思いながら半信半疑にとりあえず通過された食口もいるであろうと思います。

 

果たして自分自身はどうなのか?真のお父様が聖和された後、誰を目標として、或いは誰を拠り所としてみ旨の道を歩んだら良いのか?暫く自問自答の日々が続きました。

 

2000年前、イエス様が十字架で亡くなられた後、ペテロや弟子たちはどうされたのか?『クォ・ヴァディス』の様に、ペテロは霊的にイエス様に出会い、再度決心して歩まれたのだろうか?イエス様を知らないサウロが霊的にイエス様に出会い、救われ、回心し、パウロとして生まれ変わり、命懸けでキリスト教を広めた。そのときの胸中は?

 

そうするうちに、今日、天から答えを与えられました。

 

その答えは、真のお父様であり、一体となられた真のお母様であり、真の御父母様なのです。後にも先にもそれ以外には有り得ないことがわかりました。

 

何処の誰かがどうしたこうしたかが問題ではありません。

ただ、神様と我、真の御父母様と我が問題なのです。

 

もし目の前に問題があるならば、傍観者に陥るのではなく、自分自身が主体となって解決すれば良いのです。もし、自ら手を出せないのであれば、解決できるよう、祈りを捧げ精誠を尽くします。

 

主と共に生く

 

この言葉を握りしめ、今度こそ孝行息子と成れるように、2020年まで、み旨の道を邁進して行こうと堅く決意しました。

 

今日から、ブログとして綴り、自分自身を振り返り、反省しながら、初心を忘れる事のないように戒めつつ、頑張りたいと思います。

聖歌67番 主と共に生く

 

1.

我、今主にて 新たに生まれん

古きは去りて 新しき人と

新たなる生命 川の如流れ

その愛 光となりて輝く

我、主に侍らん 誓い違わず

永久までも 主と共に生く

 

2.

創られし者 皆清められ

罪咎ことごと洗われし今は

この我が心ぞ 御神の庵

我が家ぞ祝福の園 愛の庭

我、主に侍らん 誓い違わず

永久までも 主と共に生く

 

3.

主に従う道 遠く険しくも

歌いつつ歩まん 勝利を信じ

我、真の父母に侍り奉り

日毎証し続けん 御神の愛

我、主に侍らん 誓い違わず

永久までも 主と共に生く

主と共に生く

成約聖歌第一部の”主と共に生く”のMIDIファイルを掲載したページです。

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コメント: 4
  • #1

    田黒吾寛 (木曜日, 07 3月 2013 17:04)

    こんにちは、拝見させて頂きました。とても立派なHPと思います。

    唯一つ言わせていただくならば、名前が天福ろうに対してURLはtenfukuroo(天福ろお)となっております。

    この違いは何でしょうか?

    どうでもいいことですが気になりましたのでコメントさせて頂きました。

  • #2

    tenfukuroo (木曜日, 07 3月 2013 23:55)

    田黒吾寛様
    訪問、並びにお褒めの言葉、誠にありがとうございます。
    ご指摘いただいた点ですが、本来ならば「天福ろお」か、若しくは「tenfukurou」が正しいのでしょうね。
    それを「天福ろう」「tenfukuroo」にしたのには理由があります。

    当初、「天福楼」というネーミングを考えていました。「楼」は「遠くを見渡す高い建物」という意味で。「天福屋」「天福家」「天福庵」ではなく、「天福楼」なんかいいんじゃない?と思ったわけです。ところが、「楼」には「遊女屋」の意味もある事から、おっとっと、てなわけで、「楼」を平仮名にしたのです。

    「roo」の方は、「moon」の「oo」を忍ばせているという、誰も想像ができない隠し味的なものです。セブンイレブンの看板の文字が「ELEVEN」ではなく「ELEVEn」になっていて意味ありげな雰囲気ですが、同様の効果も狙ったみたいな感じでしょうか。

    なんて、いかがでしょうか?深く考えてそうしたか、たった今こじ付けで考えたか、どちらかが真実です・・・。

    答えになっているでしょうか?

    ぜひ、またいらしてください。

  • #3

    田黒吾寛 (金曜日, 08 3月 2013 11:08)

    なるほど~。

    ウィットに飛んだ命名そして>深く考えてそうしたか、たった今こじ付けで考えたか、どちらかが真実です・・・。

    と仰るユーモアなかなか面白いと感じました。


    単純に「朗」でいいのでは?と思ったりしましたが、「郎」でもww
    日本人なら「郎」でしょう。

    それか、天福ロオ、 天福Rooなんかもよろしいかとおもいますが。

  • #4

    tenfukuroo (日曜日, 10 3月 2013 19:22)

    田黒吾寛様

    受け止めていただいて嬉しいです。
    スルーされたらどうしようかと・・・。(汗)

    「天福郎」「天福ロオ」「天福Roo」
    カッコいいですね~!思いつかなかったなあ~。

    実は、苦労の連続なので、苦労知らずになりたい一心から、不苦労⇒ふくろう⇒福ろう。と考えを巡らしました。なんて言って、実は、ググった結果です。

    信じるか、信じないかは、貴方次第です。

    なんて、ドラマチック?に含みを残して締めたかったのですが、正直なところ、忘れてしまいました。アカウントを取って開設したのは2年ほど前なのですが、ずーっと放置していたのです。(大汗)